エリック・コーツ
ウィキペディア フリーな encyclopedia
エリック・フランシス・ハリソン・コーツ(Eric Francis Harrison Coates[注 1] 1886年8月27日 - 1957年12月21日)は、イングランドのライト・ミュージックの作曲家。若い頃は優れたヴィオラ奏者だった。
概要 エリック・コーツEric Coates, 生誕 ...
エリック・コーツ Eric Coates | |
---|---|
生誕 |
1886年8月27日 イングランド ハックノール(英語版) |
死没 |
(1957-12-21) 1957年12月21日(71歳没) イングランド チチェスター |
ジャンル | クラシック |
職業 | 作曲家、ヴィオラ奏者 |
閉じる
音楽一家に生まれたコーツは顕著な才能を示し、本人も希望していたにもかかわらず、両親は彼が音楽の道へ進むことを渋々認めたに過ぎなかった。王立音楽アカデミーでフレデリック・コーダー(作曲)とライオネル・ターティス(ヴィオラ)に師事した彼は、弦楽四重奏団と歌劇場のオーケストラで演奏し、その後トーマス・ビーチャムやヘンリー・ウッドが指揮する交響楽団に入団した。演奏家としての経験がアカデミーで学んだ厳格な教育に合わさり、コーツの作曲家としての技量を高めることになった。
ヴィオラ奏者として働く傍ら、コーツは歌曲や軽い音楽作品を作曲していった。1919年にヴィオラを完全に諦めた彼は、そこからの没するまで作曲家として、また折に触れて指揮を行うことで生計を立てた。コーツは多作家であり、作品には終曲に広く知られた「ナイツブリッジ」を配した『ロンドン組曲』(1932年)、ワルツ『静かな潟』(1930年)、『ダム・バスターズ行進曲』(1954年)などがある。初期の作品はアーサー・サリヴァンやエドワード・ジャーマンの音楽から影響を受けているが、音楽的趣味を変化させながらスタイルを進化させ、後年の楽曲にはジャズやダンス楽団の音楽に由来する要素を取り込んでいる。彼の作品は管弦楽曲と歌曲がほぼ全てを占めている。失敗に終わった短いバレエ音楽が1つあることを除けば、劇場向けの音楽を書くこともなく、映画音楽も稀にしか手掛けなかった。