エルサレム攻囲戦 (70年)
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この項目では、70年のエルサレム攻囲戦について説明しています。その他のエルサレム攻囲戦については「エルサレム攻囲戦 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
エルサレム攻囲戦(エルサレムこういせん、英語: Siege of Jerusalem)は、西暦70年にエルサレムを巡って起こった攻城戦。ユダヤ属州のユダヤ人とローマ帝国の間に起こったユダヤ戦争(第一次ユダヤ戦争)の決戦になった。この戦いでローマ軍は、ユダヤ人の叛乱軍が66年以来立て籠もっていたエルサレムを陥落させ、市街のほか、聖地であるエルサレム神殿も破壊された。一部のユダヤ人はマサダ砦に逃れ、73年に玉砕するまで戦い続けた。
概要 エルサレム攻囲戦, 交戦勢力 ...
エルサレム攻囲戦 | |
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ティトゥスの凱旋門のレリーフ。エルサレム神殿からメノーラーなどの戦利品を運び出すローマ兵 | |
戦争:(第1次)ユダヤ戦争 | |
年月日:70年3月から9月 | |
場所:ユダヤ属州エルサレム | |
結果:ローマ帝国の勝利、エルサレム市およびエルサレム神殿の破壊 | |
交戦勢力 | |
ローマ帝国 | ユダヤ人 他 |
指導者・指揮官 | |
ウェスパシアヌス ティトゥス ルキウス・フラウィウス・シルバ |
シモン・バル・ギオラ ギスカラのヨハネ エルアザル・ベン・シモン |
戦力 | |
70,000名 | 60,000名、ただし3つに分かれていた |
損害 | |
- | 不詳ながら市民多数が死亡 |
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エルサレムの喪失で本拠地を失ったユダヤ民族は各地に離散した。神殿の崩壊した日は民族の悲劇の日とされ、今でもティシュアー・ベ=アーブと呼ばれる悲しみの記念日とされている。神殿の破壊を描いた絵画や、題材にした文学も現代まで数多く創作された。