システィーナ礼拝堂壁画修復
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システィーナ礼拝堂壁画修復(システィーナれいはいどうへきがしゅうふく)では、ヴァチカン宮殿システィーナ礼拝堂の天井および壁面に描かれたフレスコ画の修復作業を概説する。これまで実施された礼拝堂の修復作業の中でも、とくに1980年に開始された屋内フレスコ画全体の修復作業は、20世紀における最大かつ最重要な美術品修復だとみなされている。
世界遺産にも指定されているヴァチカンのシスティーナ礼拝堂は、ローマ教皇シクストゥス4世がサン・ピエトロ大聖堂の北隣にヴァチカン宮殿付属の礼拝堂として建築させ、1481年に落成した建物である。内装の壁面は、ギルランダイオ、ペルジーノ、ボッティチェッリら、15世紀後半のルネサンス期のイタリアを代表する画家たちによるフレスコ壁画で埋め尽くされている[1]。その後、ローマ教皇ユリウス2世の時代には、ミケランジェロが1508年から1512年にかけて、システィーナ礼拝堂の天井に壮大なフレスコ天井画を描いた。さらにミケランジェロはローマ教皇クレメンス7世と後継のローマ教皇パウルス3世の命で、1533年から1541年にかけて主祭壇背後の壁に『最後の審判』も描いている[2]。また、システィーナ礼拝堂で挙行される特別な式典のときのみ、ラファエロの下絵デザインによるタペストリーも礼拝堂壁面の最下段に飾られる。システィーナ礼拝堂はルネサンス盛期の最高傑作絵画作品の一大宝物庫となっており、とくにミケランジェロが天井に描いた『アダムの創造』や『原罪と楽園追放』などは、ルネサンス期のみならず全西洋美術史における最高傑作のひとつだといわれている。
システィーナ礼拝堂のフレスコ画、とくにミケランジェロによる天井画部分とルネット部分はこれまでに何度も修復を受けてきた。なかでも2013年現在時点で、もっとも近年に実施されたのが1980年から1994年にかけての大修復作業である。数百年にわたって見えなくなっていた鮮やかな色彩や詳細表現がこの修復で復活し、「ミケランジェロについて記された書物は全て書き換えられるべきだ」といわれるほどに美術愛好家や研究者たちに大きな衝撃を与えた[3]。一方で、コロンビア大学の美術史教授ジェームズ・ベック (en:James Beck) のように、修復チームが画家たちの真の意図を理解しないままに作業を行ったとして、この修復作業を激しく非難する専門家もおり、修復結果の賛否は今でも大きな議論となっている。