ファーガソン暴動
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この項目では、マイケル・ブラウン射殺事件の余波について説明しています。きっかけとなった事件については「マイケル・ブラウン射殺事件」をご覧ください。 |
ファーガソン暴動(ファーガソンぼうどう、英: Ferguson unrest[注釈 1])は、アメリカ合衆国ミズーリ州ファーガソンで起こったマイケル・ブラウン射殺事件を受けて事件翌日の2014年8月10日より始まった、一連の抗議行動および暴動である。
ファーガソン暴動 | |
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ブラック・ライヴズ・マターの一環、マイケル・ブラウン射殺事件へのデモ抗議内で発生 | |
警官が暴徒に催涙ガスを使用している様子 | |
日時 | 第一波: 2014年8月9日 (2014-08-09) – 2014年8月25日 (2014-8-25)[1] 第二波: 2014年11月24日 (2014-11-24)[2] – 2014年12月2日 (2014-12-2)[3] 第三波: 2015年8月9日 (2015-08-09) – 2015年8月11日 (2015-8-11) |
場所 | アメリカ合衆国・ミズーリ州ファーガソンおよびセントルイス |
原因 | 第一波: マイケル・ブラウン射殺事件 第二波: ダレン・ウィルソンの不起訴処分 第三波: 射殺事件の一周忌 |
手段 | 広範囲にわたる暴動、破壊行為、略奪、放火、銃撃。 |
死傷者および逮捕者 | |
死者 | 1名(マイケル・ブラウン) |
負傷者 | 一般人10名[4][5] 警官6名[6] |
逮捕者 | 一般人321名[5][7][8] |
きっかけとなった射殺事件の詳細が明らかになるにつれて抗議が拡大したため、当時の市長は夜間外出禁止を発出し、警察はSWATを市内に配備するなどして沈静化を試みた[9]。
しかし、平和的な抗議行動と共に、深刻な略奪と暴動が事件現場付近ならびに市内全域で発生。また、ファーガソンでの暴力的抗議に対処する際の警察武装に対し、報道陣を中心として非難が強まった[10][11]。
そして2014年11月24日には、大陪審がウィルソン警官の不起訴を決定したことを受けて、暴動が再度起こった[12]。ブラウン射殺事件の一周忌でも短期で再発した[13]。審議の結果、米国司法省は、ウィルソンが自衛の為にブラウンを射殺したと結論づけた[14][15]。
この暴動は法執行官とアフリカ系アメリカ人との関係、警察の軍事化、ミズーリ州や全米各地の武力行使法令などに関する激しい議論を国内で巻き起こした。繰り返される実力行使的な動きは、現代の債務者監獄[16]、営利目的の警察執行[17]、学校分離[18]といった論点にも影響を広げていった。
射殺事件と一連の暴動を受け、米国司法省は、ファーガソン警察の執行実務における調査を実施した[19][20]。2015年3月、″特にアフリカ系アメリカ人を差別して人種的ステレオタイプを「違法行為のパターン」に適用することにより、ファーガソン警察が同市民に対して間違った業務執行をしていた″との判断を米国司法省が発表した[21][22][23]。このほか、ファーガソン市は、警察によって集められる罰金や科料を歳入として当てにしていることも判明した[24]。