マリア・ドローレス・デ・コスペダル・ガルシーア
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マリア・ドローレス・デ・コスペダル・ガルシア(María Dolores de Cospedal García, 1965年12月13日 - )は、スペイン・マドリード出身の政治家。国民党(PP)所属。2011年から2015年までカスティーリャ=ラ・マンチャ州首相を務めた。2008年から2018年まで国民党幹事長を務めた。
概要 生年月日, 出生地 ...
マリア・ドローレス・デ・コスペダル María Dolores de Cospedal | |
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マリア・ドローレス・デ・コスペダル | |
生年月日 | (1965-12-13) 1965年12月13日(58歳) |
出生地 | スペイン、マドリード |
出身校 | サン・パブロ=CEU大学(スペイン語版) |
所属政党 | 国民党(PP) |
配偶者 | イグナシオ・ロペス・デ・イエーロ |
在任期間 | 2011年6月22日 - 2015年7月2日 |
国民党(PP)幹事長 | |
在任期間 | 2008年6月21日 - 2018年7月21日 |
国民党(PP)カスティーリャ=ラ・マンチャ州支部代表 | |
在任期間 | 2002年7月10日 - |
スペイン下院議員 (トレド県選出) | |
在任期間 | 2007年5月27日 - |
スペイン上院議員 (カスティーリャ=ラ・マンチャ州選出) | |
在任期間 | 2006年9月12日 - 2011年6月22日 |
その他の職歴 | |
マドリード州運輸交通・社会基盤参事官 (2004年 - 2006年) | |
スペイン内務省副大臣 (2002年 - 2004年) | |
スペイン公共政策省副大臣 (2000年 - 2002年) | |
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2007年の自治州選挙(Elecciones a las Cortes de Castilla-La Mancha de 2007)では、国民党のカスティーリャ=ラ・マンチャ自治州首相候補として選挙戦を戦い、敗北した。2011年の自治州選挙(Elecciones a las Cortes de Castilla-La Mancha de 2011)では国民党は得票率48.11%で、定数49議席のうち過半数の25議席を獲得し[1]、自治州創設以降、1983年から2004年までホセ・ボノ(José Bono)、そして2011年までホセ・マリーア・バレーダ(José María Barreda)と社会労働党政権が続いた同州で、初めて国民党政権が誕生した。ビルダーバーグ会議のメンバーである[2][3]。