大山朝常
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大山 朝常(おおやま ちょうじょう、1901年(明治34年)12月25日[1] - 1999年(平成11年)11月24日[1])は、琉球政府および沖縄県の政治家。1954年に立法院議員に当選。1958年から1974年まで4期16年間にわたりコザ市長を務めた[2]。沖縄社会大衆党の結党メンバーの1人で、沖縄の本土復帰運動のリーダーであった[3]。沖縄戦の後の沖縄の政治、行政に大きな影響を与え、現在の沖縄市の基礎を築いたと評される[4]。晩年、『沖縄独立宣言』 を出版し、「ヤマトは帰るべき祖国ではなかった」として琉球独立を主張した[3]。
概要 生年月日, 出生地 ...
大山 朝常 おおやま ちょうじょう | |
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生年月日 | 1901年12月25日 |
出生地 | 沖縄県中頭郡越来村 |
没年月日 | (1999-11-24) 1999年11月24日(97歳没) |
死没地 | 沖縄県沖縄市 |
出身校 | 沖縄県師範学校卒業 |
所属政党 | 沖縄社会大衆党 |
親族 | 玉城満(孫) |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1954年 - 1958年 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1958年9月20日 - 1974年3月31日 |
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琉球列島米国民政府(略称:USCAR)については、「アメリカ民政府」と記述する。また肩書、施設名、その他名称について、当時のもので表記する。