太田城 (紀伊国)
和歌山市の城 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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太田城(おおたじょう)は、和歌山県和歌山市太田にあった戦国時代の日本の城。来迎寺が太田城の本丸跡と伝えられる。
概要 logo太田城 (和歌山県), 別名 ...
太田城 (和歌山県) | |
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太田城跡碑 | |
別名 | 太田城 |
城郭構造 | 平城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 紀俊連 |
築城年 | 延徳年間 |
主な改修者 | 太田左近 |
主な城主 | 紀氏、太田氏 |
廃城年 | 天正13年(1585年)4月 |
遺構 | 移築現存門 |
指定文化財 | 大門が和歌山市指定文化財 |
位置 | 北緯34度13分49.987秒 東経135度11分45.657秒 |
地図 | |
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太田城は現在の来迎寺・玄通寺を中心に東西に二町半(約273m)、南北に二町(約218m)と言われているが、近年[いつ?]の発掘調査からはほぼ二町半の四方であった。そこに周囲に深い堀をめぐらし、塁上は土壁とし、各所には高い櫓を設け、城門は大門・南大門・西北門があり、平城であるが当時の城としては強固な城造りであったと[誰に?]思われている。その東にあった大門は和歌山市橋向丁の大立寺に移築されている(和歌山市指定有形文化財)。現在、太田城周辺は開発によって住宅地となっていることもあり、その全貌を明らかにすることは困難な状況になっている[1]。