西方失地
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西方失地(せいほうしっち、ブルガリア語:Западни (български) покрайнини、ラテン文字転写:Zapadni (balgarski) pokraynini)は、セルビア南東部の一部の地方を指し示すブルガリアでの用語。
これらの領土は、第一次世界大戦後の1920年、ヌイイ条約によってブルガリアからユーゴスラビア王国に割譲されたものである。これらの領土はブルガリアのナショナリストの間では、当然ブルガリアに帰するべきブルガリア本来の土地、と見なされてきた。これらの領土を「西方失地」と呼称することはブルガリアのナショナリストの立場に立ったものであり、セルビア側ではそう呼ぶことはない。1991年に行われた国勢調査によると、この「西方失地」に位置する2つの都市、ボシレグラードとディミトロヴグラードの人口のうち、民族別でみて最大を占めるのはブルガリア人であった。セルビア領内にあるこれらの領土は合計で1,545平方キロメートルにおよぶ[1]。