アグネス・E・メイヤー
アメリカ合衆国のジャーナリスト / ウィキペディア フリーな encyclopedia
アグネス・エリザベス・アーンスト・メイヤー(Agnes Elizabeth Ernst Meyer、1887年1月2日 - 1970年9月1日)は、アメリカ合衆国のジャーナリスト、慈善家、公民権運動家であり、芸術家のパトロンだった[1][2]。生涯を通じて、世界中の知識人、芸術家、作家と交流した。金融家ユージン・メイヤーとの結婚により、富と地位を得て、社会福祉プログラムなどの国家政策に影響を与えた[2]。保健教育福祉省や、州の教育費を連邦政府が援助する制度の設立を政府に働きかけた[3]。1965年に制定された初等中等教育法(英語版)は、低所得者層の子供たちを対象として個別の学区に初めて連邦政府の援助を行うもので、この法律制定に対するメイヤーの功績はリンドン・ジョンソン大統領も認めている[2]。メイヤーは、雇用と教育の機会を人種に関係なく平等にすることを提唱した。メイヤーは、調査報道によりワシントン都市圏(英語版)の学校における人種分離の不公平さを明らかにした[2]。
アグネス・E・メイヤー | |
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Agnes E. Meyer | |
アグネス・メイヤー(1912年) | |
生誕 |
Agnes Elizabeth Ernst (1887-01-02) 1887年1月2日 アメリカ合衆国 ニューヨーク市 |
死没 |
1970年9月1日(1970-09-01)(83歳) アメリカ合衆国 ニューヨーク州マウント・キスコ(英語版) |
教育 | ソルボンヌ大学 |
出身校 | バーナード・カレッジ、コロンビア大学 |
職業 | ジャーナリスト、公民権運動家 |
配偶者 | |
子供 | 5人(フローレンスほか) |
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夫ユージン・メイヤーが1933年に『ワシントン・ポスト』紙を買収したことで、メイヤー一族はその後数世代にわたってアメリカの世論に影響を与えることができるようになった。娘のキャサリン・グラハムは、リチャード・ニクソン大統領の辞任につながったウォーターゲート事件の報道の際に新聞社を率い、ピューリッツァー賞を受賞した[4]。1950年代、ジョセフ・マッカーシー上院議員が行った反共産主義運動に対して、学問の自由に対する脅威であるとする演説を行った[5][6]。
芸術分野においても積極的な支援を行った[7]。夫とともに、ポール・セザンヌやエドゥアール・マネの絵画、コンスタンティン・ブランクーシの彫刻、ジョン・マリンの水彩画などを購入し、ワシントンのナショナル・ギャラリーに寄贈した[8]。