アゼルバイジャン国民政府
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アゼルバイジャン国民政府(アゼルバイジャンこくみんせいふ、ペルシア語: حکومت ملی آذربایجان, アゼルバイジャン語: آذربایجانین ملّی حکومتی)は、1945年から翌1946年まで、イラン北部のアーザルバーイジャーンで存在を主張したアゼルバイジャン自治共和国(アゼルバイジャンじちきょうわこく、ペルシア語: جمهوری خودمختار آذربایجان)の政府である。
- アゼルバイジャン自治共和国
- جمهوری خودمختار آذربایجان
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← 1945年 - 1946年 → (国旗) (国章)
緑色の領域(黄色の領域はクルディスターン共和国)
第二次世界大戦期にイラン進駐を行った赤軍の庇護下で、イラン共産党(ペルシア語版)系のアゼルバイジャン民主党(ペルシア語版)によって形成された。当初はイランのアゼルバイジャン人(英語版)の地位向上を訴えるに留まっていた国民政府であったが、やがては民族自決を主張して独自の軍を編制するなど、イランからの分離を疑われる活動までも開始した。後期には中央政府との和解も果たされたが、やがて中央政府が政策を右傾化させたため国軍の侵攻を受け、さらには支持母体であったソビエト連邦からもイランでの石油利権と引き換えに見放され、発足から1年で崩壊した。