ウクライナの義勇兵大隊
ウィキペディア フリーな encyclopedia
ウクライナの義勇兵大隊 (うくらいなのぎゆうへいだいたい、ウクライナ語: Добровольчі батальйони、正式名のウクライナ語: Добровольчі військові формування України、その略称のウクライナ語: Добробати) は、2014年春の分離主義の台頭に対抗するためのウクライナの正規軍の脆弱性と消極的な状態への対応として動員された民兵と準軍事組織[1]。その起源は、2013年のユーロマイダン中に形成された「マイダン自衛」民兵にまでさかのぼる[2]。これらの義勇部隊でも初期の部隊は、ウクライナ紛争への対応として、後に軍、特別警察、および準軍事組織へと正式に編成された[3][4]。ほとんどの部隊は、内務省と国防省の指揮下で、編成または配置されている(内務省の特殊任務巡回警察や国防省の領土防衛大隊など)が、独自に活動する大隊も少数存在する。
大隊の大半は当初、政府から資金を貰っておらず自己資金で活動していた。一部の大隊はウクライナのオリガルヒからの支援を受ける一方で[5]、寄付を受け取ったりインターネットのクラウドファンディングキャンペーンを始めたりする大隊もあった[6][7][8]。
2014年9月時点で、37の義勇大隊がドンバス戦争の戦いに参加していた[9]。大隊の戦闘員の中には、元ユーロマイダンの活動家もいるが、社会的背景は非常に多様であり、学生や軍人もいる[10]。彼らは、国内で最も尊敬されている機関の中で2番目に位置付けられ、ウクライナ社会からの高い支持を得ているが、ウクライナのオリガルヒとの緊密な関係は、義勇兵組織が政治化されたり私兵に転じたりする高いリスクをもたらしている[5]。2015年に最前線からの撤退を命じられ、義勇大隊の流れは始まりから1年以内に大部分が終わった[11]。大半の部隊は存続したものの、ウクライナ陸軍または国家親衛隊の部隊として完全に統合された。