ウル王朝のゲーム
古代メソポタミアのボードゲーム / ウィキペディア フリーな encyclopedia
ウル王朝のゲーム(ウルおうちょうのゲーム)またはそのまま英語読みでロイヤルゲーム・オブ・ウル(Royal Game of Ur)とは、紀元前3000年初頭頃から古代メソポタミアで行われていた2人用対戦ボードゲーム。現在判明している双六型のゲームとしては最古級のものとされ、一部のテーブルゲームのルーツの可能性も指摘される。ゲーム名は通称であり、20世紀にイギリスの考古学者レオナード・ウーリー卿によるウルの王墓発掘調査で発見されたことに由来する。
期間 | 最古のゲーム盤は古代メソポタミアの初期王朝時代(英語版)にあたる紀元前2600年から紀元前2400年頃に製作されたものであり[1]、古代末期まで中東地域で、近現代にはインドのコーチンでよく遊ばれていた。 |
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ジャンル | |
プレイ人数 | 2人用 |
準備時間 | 10-30分 |
プレイ時間 | 約30分 |
運要素 | 中 (ダイス要素) |
必要技能 | 戦略, 戦術, 集計, 確率 |
同義語 |
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このゲームは古代の中東地域において社会階級を問わず広く親しまれ、スリランカ、キプロス、クレタ島でもゲーム盤が発掘されている。最盛期には迷信的な要素も持つようになり、特定のマスに止まることによって「友達ができる」といった占い的な要素や、ゲームでの成功が将来の現実の自分の成功を表しているといったことが信じられていた。ゲーム・オブ・トゥエンティ(Game of Twenty)と呼ばれる類似の古代ゲームも存在し、現代にも伝わるエジプトの古代ゲーム・セネトにも関連していた。しかし、理由は不明だが古代末期には衰退し、人々に忘れ去られ、一部、インドのコーチンのユダヤ人社会に亜流が伝わっていた程度であった。
1922年から1934年にかけて行われたウーリー卿による発掘調査を皮切りに、ゲームは現代に発見され、その後の考古学的調査によって実態が明らかにされていった。発掘当時においてゲームのルールは不明であったが、バビロニアの律法学者イッティ・マルドゥク・バラートゥ(Itti-Marduk-balāṭu)の粘土板が解読され、紀元前2世紀頃時点でのゲーム内容が記されていることがわかった。1980年代初頭、大英博物館の学芸員アーヴィング・フィンケルは、この粘土板の記録とゲーム盤の形状から、ゲームがどのように行われていたのかを推測し、基本ルールをまとめた。このルールでは、独自のダイス(サイコロ)を振って出た目に応じて盤上の複数の駒を進め、最終的に相手よりも先に自分の駒をすべてゴールさせることを目的とする。現代のバックギャモンに似ており、戦略と運の両方の要素を兼ね備えている。