オルジェイトゥ
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オルジェイトゥ・ハン(ペルシア語:اولجايتو خان Öljeitü, ūljāytū khān, 1280年 - 1316年12月16日)は、イルハン朝の第8代君主(在位:1304年7月21日 - 1316年12月16日)。第4代君主・アルグンの第3子で、第7代君主・ガザン・ハンの弟、アブー・サイードの父。兄ガザン・ハンの目指したイラン・イスラーム的なモンゴル国家像によるイルハン朝再建の政策を引継ぎ、国内の財政と軍政、宗教問題などの安定化、モンゴル帝国諸王家との融和政策にも取り組んだ。その過程でシーア派改宗宣言をしたことでも知られる。なお、日本語表記では、オルジャイトゥ(ー)と表記されるものもある。
概要 オルジェイトゥ・ハン اولجايتو خان, 在位 ...
オルジェイトゥ・ハン اولجايتو خان | |
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イルハン朝第8代君主 | |
ガザンとオルジェイトゥ(『集史』) | |
在位 | 1304年7月21日 - 1316年12月16日 |
出生 |
1280年 |
死去 |
1316年12月16日 |
配偶者 | ハーッジー・ハトゥン |
デスピナ・ハトゥン(アンドロニコス2世パレオロゴスの娘) | |
ソユルガトミシュ(大ハサンの姉妹)他 | |
子女 |
アブー・サイード サティ・ベク |
王朝 | イルハン朝 |
父親 | アルグン |
母親 | ウルク・ハトゥン |
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