ケーニヒグレーツの戦い
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ケーニヒグレーツの戦い(ケーニヒグレーツのたたかい、独: Schlacht bei Königgrätz)は、普墺戦争における会戦の1つ。1866年7月3日にボヘミア(ベーメン)中部のケーニヒグレーツ(現在はチェコの都市フラデツ・クラーロヴェー)とサドワ村(英語版)の中間地点でプロイセン王国とオーストリア帝国の軍の間で戦われた。分進合撃に成功したプロイセン軍はオーストリア軍を包囲し、決定的な打撃を与え、戦争終結を決定づけた。サドワの戦いとも呼ばれる。
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概要 ケーニヒグレーツの戦い, 交戦勢力 ...
ケーニヒグレーツの戦い | |
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ケーニヒグレーツの戦い | |
戦争:普墺戦争 | |
年月日:1866年7月3日 | |
場所:ケーニヒグレーツ(現フラデツ・クラーロヴェー)近郊(サドワ村との中間) | |
結果:プロイセンの勝利 | |
交戦勢力 | |
プロイセン王国 | オーストリア帝国 ザクセン王国 |
指導者・指揮官 | |
ヴィルヘルム1世 大モルトケ フリードリヒ3世王太子 フリードリヒ・カール親王 ビッテンフェルト大将 |
フランツ・ヨーゼフ1世 ベネデック(ドイツ語版)元帥 アルベルト王子 |
戦力 | |
221,000 火砲 702門 |
184,000(オーストリア軍) 22,000(ザクセン軍) 火砲 650門 |
損害 | |
戦死傷 約9,000人 | 戦死傷 約24,000人 捕虜 約20,000人 大砲損失187門 |
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