ドミティア・ロンギナ
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ドミティア・ロンギナ(Domitia Longina、50年代前半 - 120年代後半頃)はローマ帝国の皇后。フラウィウス朝のローマ皇帝・ドミティアヌスの妻であり、執政官も務めたグナエウス・ドミティウス・コルブロ将軍の末娘。ドミティアヌスと結婚するために、最初の夫のルキウス・アエリウス・ラミアとは71年に離婚している。ドミティアヌスとの間には一人だけ息子がいたが夭折しており、この83年の息子の死が夫婦の亀裂の原因だと信じられている。
概要 ドミティア・ロンギナ Domitia Longina, 出生 ...
ドミティア・ロンギナ Domitia Longina | |
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ローマ皇后 | |
胸像 | |
出生 |
50年代前半 |
配偶者 | ルキウス・アエリウス・ラミア(en:Lucius Aelius Plautius Lamia Aelianus) |
ドミティアヌス | |
子女 | 男児(名前不明) |
父親 | グナエウス・ドミティウス・コルブロ |
母親 | カッシア・ロンギナ |
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ドミティアヌスが即位した81年から夫が暗殺される96年までローマ皇后であった。126年から130年の間に死んだとされている。