ドミニカ侵攻
ウィキペディア フリーな encyclopedia
この項目では、アメリカ独立戦争中のフランスによる侵攻について説明しています。七年戦争中のイギリスによる侵攻については「ドミニカ侵攻 (1761年)」をご覧ください。 |
ドミニカ侵攻 (ドミニカしんこう、英: Invasion of Dominica)は、アメリカ独立戦争中盤の1778年9月7日に、フランスがイギリス領西インド諸島のドミニカに侵攻し、成功した戦いである。この戦闘は、カリブ海のイギリス当局が、アメリカとの同盟国としてフランスが参戦したことをまだ知らないときに起こった。西インド諸島のフランス総督ド・ブイエ侯爵フランソワ・クロード・アムールは8月17日にフランスが参戦したことを知らされ、侵攻部隊を編成し、ドミニカのフランス語を話す人々の支援を得るためにスパイを侵入させた。
概要 ドミニカ侵攻, 交戦勢力 ...
ドミニカ侵攻 | |
---|---|
フランスのフリゲート艦から砲撃されるイギリス軍守備隊とフランス兵との戦闘シーン、フランソワ・ゴドフロワによる版画 | |
戦争:アメリカ独立戦争 | |
年月日:1778年9月7日 | |
場所:ドミニカ(イギリス領西インド諸島) | |
結果:フランス軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
フランス王国 | グレートブリテン王国 |
指導者・指揮官 | |
ド・ブイエ侯爵フランソワ・クロード・アムール | ウィリアム・スチュアート |
戦力 | |
2,000 フリゲート艦3隻 コルベット艦1隻 他に小艦艇と輸送船 |
100ないし600名(正規兵と民兵) |
損害 | |
40名以上[1] | 戦死2名 その他は降伏 |
| |
閉じる
1778年9月7日早朝、フランス軍がドミニカ島南東の海岸に上陸した。この部隊は直ぐに島の防衛拠点の幾つかを掌握した後に、島の首都ロゾーを見下ろす高台を占領した。島の副総督ウィリアム・スチュアートは残っていた部隊と共に降伏した。この後、ドミニカ島は終戦までフランスの支配下にあったが、戦後イギリスに返還された。