国鉄D51形蒸気機関車
日本の鉄道省が設計・製造した蒸気機関車 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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D51形蒸気機関車(D51がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計、製造した、単式2気筒で過熱式のテンダー式蒸気機関車である。
概要 基本情報, 運用者 ...
国鉄D51形蒸気機関車 | |
---|---|
基本情報 | |
運用者 |
鉄道省→日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 西日本旅客鉄道 |
製造所 |
川崎車輛 汽車製造 日立製作所 日本車輌製造 三菱重工業 鉄道省浜松工場・大宮工場・鷹取工場・小倉工場・長野工場・土崎工場・郡山工場・苗穂工場 |
製造年 | 1935年 - 1945年 |
製造数 | 1,115両(国鉄在籍分) |
引退 | 1975年12月24日 |
主要諸元 | |
軸配置 | 1D1 |
軌間 | 1,067 mm |
全長 | 19,730 mm |
全高 | 3,980 mm |
機関車重量 | 78.37 t(運転整備) |
炭水車重量 | 47.40 t(運転整備) |
総重量 | 125.77 t |
動輪径 | 1,400 mm |
軸重 | 14.30 t |
シリンダ数 | 単式2気筒 |
シリンダ (直径×行程) | 550 mm × 660 mm |
弁装置 | ワルシャート式 |
ボイラー圧力 |
14.0 kgf/cm2 (1.373 MPa; 199.1 psi)(登場時) 15.0 kgf/cm2 (1.471 MPa; 213.4 psi)(戦後全車) |
ボイラー水容量 | 6.0 m3 |
大煙管 (直径×長さ×数) | 140 mm×5,500 mm×35本 |
小煙管 (直径×長さ×数) | 57 mm×5,500 mm×94本 |
火格子面積 | 3.27 m2 |
全伝熱面積 | 221.5 m2 |
過熱伝熱面積 | 41.4 m2 |
全蒸発伝熱面積 | 168.8 m2 |
煙管蒸発伝熱面積 | 147.4 m2 |
火室蒸発伝熱面積 | 17.5 m2 |
燃料 | 石炭 |
燃料搭載量 |
8.0 t(D51 1 - 954) 10.0 t(D51 1001 - 1161) |
水タンク容量 | 20.0 m3 |
制動装置 | 自動空気ブレーキ |
保安装置 |
ATS-P/Ps(D51 498) ATS-SW/ATS-P(D51 200) |
最高運転速度 | 85 km/h |
最大出力 | 1,400 PS |
定格出力 | 1,280 PS |
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主に貨物輸送のために用いられ、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、国鉄における所属総数は1,115両に達しており、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車1形式の両数でも最大を記録した。この記録は現在も更新されていない[注 1]。
この他に、台湾総督府鉄道向けに32両、胆振縦貫鉄道(1944年(昭和19年)に国有化)向けに5両(再掲)が製造され、戦後はソビエト連邦サハリン州鉄道向けに30両、台湾鉄路管理局向けに5両、朝鮮戦争における国連軍向けの標準軌仕様機が2両製造されており、製造総数は1,184両に及ぶ。
また、1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化時には、西日本旅客鉄道(JR西日本)に1両(D51 200)が継承され、翌1988年(昭和63年)には東日本旅客鉄道(JR東日本)で1両(D51 498)が復籍し、この2両が動態保存されている。JR東日本のD51 498は復籍後の初仕業で来日中のオリエント急行を牽引して復活、西日本のD51 200は2017年(平成29年)に山口線のSLやまぐち号で、本線運転に復帰した。
現場の機関士にも操作性の良さから人気があり[1]「デゴイチ」の愛称は、日本の蒸気機関車の代名詞にもなった[2][3]。もし、D51形がなければ日本はこれほど進歩しなかったかもしれないと極言する評価さえ存在し、その性能や扱いやすさは後世の試作研究の目標になるほどであった[4]。