市川猿翁 (初代)
日本の歌舞伎役者 (1888-1963) / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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初代 市川 猿翁(いちかわ えんおう、1888年〈明治21年〉5月10日[4] - 1963年〈昭和38年〉6月12日[3])は、明治から戦後昭和にかけて活躍した歌舞伎役者。屋号は澤瀉屋[1]。定紋は八重澤瀉、三ツ猿[3]。日本芸術院会員。本名は喜熨斗 政泰(きのし まさやす)[6]、俳名は笑楽[1]・華果・薊[3]。
概要 屋号, 定紋 ...
初代 | |
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屋号 | 澤瀉屋[1] |
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定紋 | 澤瀉 |
生年月日 | 1888年5月10日 |
没年月日 | (1963-06-12) 1963年6月12日(75歳没) |
本名 | 喜熨斗政泰[1][2] |
襲名歴 | 1. 初代市川團子 2. 二代目市川猿之助 3. 初代市川猿翁 |
俳名 | 笑楽[1]・華果・薊[3] |
出身地 | 東京市浅草区千束町[4][5](現・東京都台東区千束) |
父 | 二代目市川段四郎(初代市川猿之助) |
兄弟 | 初代市川壽猿 八代目市川中車 二代目市川小太夫 |
子 | 三代目市川段四郎 初代市川三四助 |
当たり役 | |
歌舞伎: 『仮名手本忠臣蔵』九段目の加古川本蔵 『平家女護島』「俊寛」の俊寛 舞踊『黒塚』の老女 映画: 『大忠臣蔵』(1957) の大石内蔵助 | |
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「猿翁」は舞台で使われることが一度もなかった隠居名の名跡で、しかも改名直後に本人が死去したため実績もまったくない。一方、「猿之助」の名跡は53年間にわたって名乗り続けており、それ故に今日でも彼が「二代目 市川 猿之助」(いちかわ えんのすけ)として語られることが多い。