水口洋次
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名前 | ||||||
カタカナ | ミズグチ ヨウジ | |||||
ラテン文字 | MIZUGUCHI Yoji | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1944年7月20日(76歳) | |||||
出身地 | 広島県広島市 | |||||
身長 | 162㎝ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1967-1971 |
![]() | 31 | (6) | |||
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監督歴 | ||||||
1973 |
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1978-1979 |
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1980-1991 |
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2000-2002 |
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2004-2006 |
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2007 |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
広島県広島市出身。広島国泰寺高校から、中央大学法学部政治学科を経て1967年、ヤンマーディーゼル株式会社入社。小柄ながらボール扱いのうまさは日本最高ともいわれ[1]、同社サッカー部の主力選手として活躍した[2]。同い年で同期就職で親友の釜本邦茂のデビュー初得点のアシストを決めている。しかし当時監督だった鬼武健二の薦めにより、入社4年目で選手を引退しコーチに就任。ヨーロッパの技術研修を経て、日本代表20歳以下チームの監督等も歴任した。
その後、ヤンマーサッカー部の人員増加に伴って設立されたサテライト相当の組織「ヤンマークラブ」に転籍、監督に就任し日本サッカーリーグ2部でチームの指揮をとった。しかし就任2年目の1979年にサッカー部の一本化により廃部。水口はヤンマークラブ所属選手の多くとともに松下電器産業に移籍して1980年、松下電器産業サッカー部(現・ガンバ大阪)を奈良県で創部し初代監督に就任[2][3][4]。設立当初は選手の人数がそろわず選手兼任監督として登録もした。0の状況からチームを育て上げ、以降11年の長きにわたり指揮を執り[5][6]、1990年には天皇杯優勝に導いた[2]。
1991年に1993年のJリーグ発足に向けS級ライセンスを取得していなかったため監督を勇退(後任は前出の釜本)。松下電器サッカー部にもプロ化準備室が設けられ、その後水口はガンバ大阪取締役強化部長、普及部長としてチームを見守った[2][7]。1995年にS級ライセンスを取得。1999年には大阪サッカー指導者協会会長に就任。2002年に松下電器を定年退社、同時にガンバ大阪取締役も辞任する。
2002年に行われたよさこい高知国体では大阪府選抜(成年の部)を率いて優勝[7]。2004年、関西学生サッカーリーグの神戸国際大学サッカー部の監督として本格的に指導者復帰を果たした。
2007年、Jリーグ参入を目指すガイナーレ鳥取(当時日本フットボールリーグ)の監督に就任。ハードトレーニングによるチーム全体の強化を図ったが、同年8月、成績不振を理由に辞任した。
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1967 | ヤンマー | JSL | - | ||||||||
1968 | - | ||||||||||
1969 | - | ||||||||||
1970 | - | ||||||||||
1971 | 3 | - | |||||||||
1980 | 松下電器 | 奈良2部 | - | ||||||||
通算 | 日本 | JSL | 31 | 6 | - | ||||||
日本 | 奈良2部 | - | |||||||||
総通算 |
- 松下電器時代は不明。
指導経歴
- 1970年3月 日本サッカー協会主催 コーチングスクール受講、コーチライセンス取得
- 1971年 ヤンマーディーゼル:コーチ
- 1971年-1972年 日本ユース代表:コーチ
- 1973年 日本ユース代表:監督
- 1974年 ヤンマーディーゼル:アシスタントコーチ
- 1975年-1977年 ヤンマーディーゼル:コーチ
- 1978年-1979年 ヤンマークラブ:監督
- 1980年4月-1991年 松下電器:監督
- 1991年10月-1994年 株式会社松下サッカークラブ(ガンバ大阪):取締役強化部長
- 1994年2月- 2002年1月 株式会社松下サッカークラブ(ガンバ大阪):取締役普及部長
- 1995年5月 日本サッカー協会公認 S級コーチライセンス取得
- 2000年3月- 大阪国体成年男子:監督
- 2002年 よさこい高知国体・大阪府選抜(成年の部):監督(優勝)
- 2004年4月-2006年1月 神戸国際大学:監督
- 2007年1月-8月 ガイナーレ鳥取:監督
監督成績
年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | JSL杯 | 天皇杯 | |||
1978 | JSL2部 | ヤンマーC | 4位 | 18 | 38 | 8 | 3PK勝/0PK敗 | 7 | 予選リーグ | 2回戦 |
1979 | 5位 | 18 | 36 | 8 | 2PK勝/0PK敗 | 8 | 2回戦 | 準々決勝 | ||
1980 | 奈良2部 | 松下 | 優勝 | - | 予選敗退 | |||||
1981 | 奈良 | 優勝 | - | 2回戦 | ||||||
1982 | 優勝 | - | 2回戦 | |||||||
1983 | 関西 | 優勝 | - | 2回戦 | ||||||
1984 | JSL2部 | 3位 | 18 | 22 | 8 | 6 | 4 | 準々決勝 | 2回戦 | |
1985 | JSL2部・西 | 優勝 | 10 | 18 | 8 | 2 | 0 | 準々決勝 | 1回戦 | |
JSL2部・上位 | 10 | 14 | 5 | 4 | 1 | |||||
1986-87 | JSL1部 | 11位 | 22 | 16 | 5 | 6 | 11 | 1回戦 | 2回戦 | |
1987 | JSL2部・西 | 2位 | 14 | 25 | 11 | 3 | 0 | 2回戦 | 準々決勝 | |
JSL2部・上位 | 14 | 20 | 9 | 2 | 3 | |||||
1988-89 | JSL1部 | 7位 | 22 | 29 | 8 | 5 | 9 | 1回戦 | 2回戦 | |
1989-90 | 10位 | 22 | 19 | 4 | 7 | 11 | 1回戦 | 1回戦 | ||
1990-91 | 6位 | 22 | 30 | 7 | 9 | 6 | 1回戦 | 優勝 | ||
2007 | JFL | 鳥取 | - | - | - |
その他
- 全国社会人サッカー選手権大会 優勝(1983年)
注釈
関連項目
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