禁闕の変
1443年に起こった後花園天皇の内裏への襲撃事件 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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禁闕の変(きんけつのへん)は、室町時代の嘉吉3年9月23日(1443年10月16日)夜に京都で起こった後花園天皇の禁闕(皇居内裏)への襲撃事件である。吉野朝廷(南朝)復興を唱える勢力(後南朝)が御所に乱入し、三種の神器のうち剣璽の二つを奪い比叡山へ逃れたが、26日までに鎮圧された。幕府は宝剣の奪還には成功したが、神璽はそのまま奪い去られ、長禄元年(1457年)に赤松氏が後南朝より奪い返し北朝の手に戻る(長禄の変)まで15年に渡って後南朝の下にあった。嘉吉の変(かきつのへん)という呼び方もあるが、嘉吉元年(1441年)の守護赤松満祐による6代将軍足利義教の殺害事件「嘉吉の変」と混同を招くため、避けられる傾向にある[1]。