終着駅 (映画)
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『終着駅』(しゅうちゃくえき、原題:Stazione Termini、英題:Terminal Station)は、1953年に製作されたイタリアとアメリカの合作映画で、ハリウッドの映画プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックが映画『逢びき』に匹敵するメロドラマを作ろうと、イタリア「ネオレアリズモ」の巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督を招いて作りあげた恋愛映画の名作。日本でも大ヒットした。キネマ旬報ベストテン第5位。
概要 終着駅, 監督 ...
終着駅 | |
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Stazione Termini Terminal Station Indiscretion of an American Wife | |
モンゴメリー・クリフト(左)とヴィットリオ・デ・シーカ | |
監督 | ヴィットリオ・デ・シーカ |
脚本 |
チェーザレ・ザヴァッティーニ ルイジ・キアリーニ ジョルジオ・プロスペリ ベン・ヘクト(タイトル)[1] トルーマン・カポーティ(英語の台詞) |
原案 | チェーザレ・ザヴァッティーニ |
製作 | ヴィットリオ・デ・シーカ |
製作総指揮 | デヴィッド・O・セルズニック[1] |
出演者 |
ジェニファー・ジョーンズ モンゴメリー・クリフト リチャード・ベイマー |
音楽 | アレッサンドロ・チコニーニ |
撮影 | G・R・アルド |
編集 |
ジーン・ベイカー エラルド・デ・ロマ |
製作会社 |
コロンビア ピクチャーズ Produzioni De Sica セルズニック・スタジオ |
配給 |
コロンビア映画 松竹洋画部 |
公開 |
1953年4月2日 1954年5月10日 1953年9月15日 |
上映時間 | 89分 |
製作国 |
イタリア アメリカ合衆国 |
言語 |
英語 イタリア語 フランス語 |
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日本で初公開される前は、題名と同じ意味を表す言葉は「終点」ぐらいしかなかったが、この映画の邦題から「終着駅」という新しい言葉が生まれた[要出典]。そして、今ではこの映画の題名のみならず、日常でも使われている。このような、外国映画の邦題から日常語になった同じ例として、戦前のフランス映画『巴里祭』がある(「パリ祭」参照)。イタリア語での原題は物語の舞台となったローマ・テルミニ駅(イタリアのターミナル駅の一つ)。ジェニファー・ジョーンズの衣裳デザインはクリスチャン・ディオールが担当した。
編集段階でデ・シーカとセルズニックのあいだで創作上の深刻な対立が生じ、その結果、89分のイタリア版と72分のアメリカ版の、ふたつのバージョンが流通することとなった[2]。アメリカ版には「Indiscretion of an American Wife」という別タイトルが与えられた。 このときの苦い経験から、デ・シーカは二度とハリウッドのプロデューサーと仕事をすることはなかった。