青木鶴子
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青木 鶴子(あおき つるこ、1889年〈明治22年〉11月24日 - 1961年〈昭和36年〉10月18日)は、日本の女優である。本名は早川 ツル(旧姓名は小原 ツル、次いで川上 ツル)[2][3]。日本人で最初の国際映画女優であり[4][5]、ツル・青木(Tsuru Aoki)[注 1]という芸名で、サイレント映画時代の1910年代から1920年代前半のハリウッドでスター女優のひとりとして活躍した[6][8][9]。伯父は俳優の川上音二郎、夫は鶴子と同時代にハリウッドのスターとして活躍した早川雪洲である。
概要 あおき つるこ 青木 鶴子, 本名 ...
あおき つるこ 青木 鶴子 | |
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青木鶴子(1915年) | |
本名 | 早川 ツル(旧姓は小原、次いで川上) |
別名義 |
ツル・青木(Tsuru Aoki) 青木 つる子[1] |
生年月日 | (1889-11-24) 1889年11月24日 |
没年月日 | (1961-10-18) 1961年10月18日(71歳没) |
出生地 | 日本・福岡県福岡市 |
死没地 | 日本・東京都世田谷区 |
職業 | 女優 |
ジャンル | 映画、舞台 |
活動期間 | 1913年 - 1924年、1960年 |
配偶者 | 早川雪洲(1914年 - 1961年) |
著名な家族 | 伯父:川上音二郎 |
主な作品 | |
『火の海』(1914年) 『蛟龍を描く人(英語版)』(1919年) 『神々の呼吸(英語版)』(1920年) 『戦場よ永遠に(英語版)』(1960年) | |
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幼少期に川上音二郎と貞奴夫妻の養子となり、2人の一座の子役としてアメリカ巡業に同行したあと、サンフランシスコ在住の画家の青木年雄の養女となって育てられた。1913年にハリウッドで映画女優となり、『火の海』(1914年)などのトーマス・H・インス製作の日本が題材の映画に主演し、1914年にそれらの共演者だった早川雪洲と結婚した。その後はトップスターとなった雪洲を仕事面でも家庭面でも支える側に回り、雪洲の主演作品での共演が多くなった。1910年代後半に夫妻はハリウッドの大邸宅で豪華な生活を送るなど、一挙手一投足が注目されるハリウッドのスター夫婦となった。1920年代に家庭に専心するため女優を引退し、その後は雪洲が愛人との間に産んだ3人の子供を引き取って育てた。晩年の1960年には『戦場よ永遠に(英語版)』で映画女優に復帰したが、その翌年に71歳で亡くなった。