プブリウス・クィンクティリウス・ウァルス
ウィキペディア フリーな encyclopedia
プブリウス・クィンクティリウス・ウァルス(羅:Publius Quinctilius Varus, 紀元前46年 - 紀元9年9月)は、ローマ帝政初期アウグストゥスの時代の政治家であり、将軍である。アウグストゥスの腹心マルクス・ウィプサニウス・アグリッパの娘ウィプサニア・マルケッラと結婚した。アグリッパとアウグストゥスの信任を得て、紀元前9年ティベリウスとの共同執政官に就任し、その後、アフリカ、シリア総督を務めた。
その後の紀元7年にゲルマニア総督となったが、紀元9年のトイトブルク森の戦いの総司令官として三個ローマ軍団(第17・18・19軍団)を率いて大敗。乱戦の中で自害した。