ワールシュタットの戦い
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ワールシュタットの戦い(ドイツ語: Schlacht bei Wahlstatt)またはレグニツァの戦い(モンゴル語: Легницийн тулалдаан; ポーランド語: Bitwa pod Legnicą)は、1241年4月9日にモンゴル帝国のヨーロッパ遠征軍と、ポーランド・ドイツ連合軍が激突した戦いである。
概要 ワールシュタットの戦い, 交戦勢力 ...
ワールシュタットの戦い | |
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モンゴルのポーランド侵攻中 | |
Matthäus Merian『ワールシュタットの戦い』 | |
戦争:モンゴルのポーランド侵攻 | |
年月日:1241年4月9日 | |
場所:レグニツァ近郊 | |
結果:モンゴル帝国の決定的勝利 | |
交戦勢力 | |
モンゴル帝国 | ポーランド王国 神聖ローマ帝国 ドイツ騎士団 聖ヨハネ騎士団 テンプル騎士団 その他 |
指導者・指揮官 | |
バイダル カダン オルダ |
ヘンリク2世 † ボレスラフ(ポーランド語版) † ミェシュコ スリスワフ(ポーランド語版) † オステルナ(ポーランド語版、英語版) |
戦力 | |
8,000 - 20,000 | 2,000 - 20,000 |
損害 | |
不明 | 深刻 |
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世界的には会戦場であったポーランド西部のレグニツァ(波: Legnica、もしくはリーグニッツ-独: Liegnitz)の地名を用いることが一般的である。ドイツでは「ワールシュタットの戦い」(独: Schlacht bei Wahlstatt)が用いられることもあるが、現代ドイツの歴史でも「リーグニッツの戦い」(独: Schlacht bei Liegnitz)を用いる。「ワールシュタット(Wahlstatt)」とは、中高ドイツ語で「戦場」を意味する。[要出典]