アリー・ハサン・アル=マジード
イラクの政治家 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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アリー・ハサン・アブドゥルマジード・アッ=ティクリーティー(アラビア語:Alī Ḥasan Abd al-Majīd al-Tikrītī علي حسن عبد المجيد التكريتي、英語:Ali Hassan Abd al-Majid al-Tikritieh、1941年11月30日 - 2010年1月25日) はイラクの元政治家で、2003年4月まで大統領顧問、バアス党労働局長、革命指導評議会メンバー、バアス党地域指導部メンバー、バアス党軍事局員であった。サッダーム・フセインの父方従兄弟。日本では「アリ・ハッサン・アル・マジド」「マジド元国防相」と呼ばれることが多い。軍階級は陸軍中将。外国メディアからは化学兵器を使用したことから「ケミカル・アリー」という異名を付けられた。中東圏でも「キマーウィー」(化学屋)という同じ意味のあだ名が付けられている[1]。