エドワード・コルストン
イギリスの商人・政治家・篤志家・奴隷取引家 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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この項目では、イギリスの商人について説明しています。同名の甥については「エドワード・コルストン (ウェルズ選挙区の庶民院議員)」をご覧ください。 |
エドワード・コルストン(英語: Edward Colston, 1636年11月2日 - 1721年10月11日[1])はイギリスの商人、トーリー党の国会議員、篤志家、奴隷取引家である。1340年代からブリストルに住む商人の家系に生まれ、長じてから自身も商人となり、当初はスペイン、ポルトガル、その他のヨーロッパの港を中心に、ワイン、果物、布などの貿易を行った。1680年には、イギリスのアフリカ奴隷貿易を独占していた王立アフリカ会社に加入したことで、奴隷貿易に大きく関与するようになった。彼は1689年に会社の最高職である副総督に就任した。彼の資産のうちどの程度が奴隷貿易に由来していたのか正確な所は不明であるが、彼が奴隷貿易に関与して財を成したことは事実である[1][2]。
概要 生年月日, 出生地 ...
エドワード・コルストン Edward Colston | |
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ジョナサン・リチャードソン画のコルストンの肖像画 | |
生年月日 | 1636年11月2日 |
出生地 | イングランド王国 サウス・ウェスト・イングランド・ブリストル |
没年月日 | (1721-10-11) 1721年10月11日(84歳没) |
死没地 | グレートブリテン王国 イングランド・サリー州・モートレイク(英語版) |
前職 | 貿易商 |
所属政党 | トーリー党 |
庶民院議員 | |
選挙区 | ブリストル選挙区(英語版) |
在任期間 | 1710年 - 1713年 |
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コルストンは奴隷貿易で得た資産を元手に、ブリストル、ロンドン、その他の場所で学校、病院、救貧院、教会を支援し、寄付した。彼の名前は、ブリストルのいくつかのランドマーク、通り、3つの学校、そしてコルストン・バンズ(英語版)によって記念されている。1895年には彼の像が建立されたが、20世紀後半に彼が大西洋奴隷貿易に関与していた事が認識される様になるとランドマークの名称変更を求める抗議や嘆願が続き、2020年6月、彼の像が倒されブリストル湾に投棄された事で最高潮に達した。彼が設立した慈善財団に触発されて設立された財団は現在でも存続している[3]。