ハンガリー王冠領
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ハンガリー王冠領(ハンガリーおうかんりょう)、正式にはハンガリーの聖イシュトヴァーンの王冠諸邦(ハンガリーのせいイシュトヴァーンのおうかんしょほう、ドイツ語: Die Länder der Heiligen Ungarischen Stephanskrone、ハンガリー語: Szent István Koronájának Országai/A Magyar Szent Korona Országai、スロベニア語: Zemlje krune Svetog Stjepana、スロバキア語: Krajiny Svätoštefanskej koruny)は、ハンガリー王国とその従属邦の集合体を指す国制概念である。1867年にオーストリア=ハンガリー(二重帝国)の二重国家体制が成立して以降、非公式には帝国のハンガリー側半分(ungarische Reichshälfte)と呼ばれた。また主にオーストリアの官公庁では、「ライタ川の向こう側の地域(外ライタ)」を意味するトランスライタニエン(Transleithanien)という通称で呼ばれた。これは、二重帝国のハンガリー王冠領に含まれない地域を指してツィスライタニエン(内ライタ、「ライタ川のこちら側の地域」)と呼んでいた慣習と対応している。
公用語 | |||||||||||||||||||||||||||
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言語 | ボスニア語、中央方言群(英語版)、ドイツ語、ポーランド語、ルーマニア語、ルーシ語、セルビア語、スロバキア語、スロベニア語、イディッシュ語 | ||||||||||||||||||||||||||
宗教 | カトリック、カルヴァン派、ルター派、東方正教、東方典礼カトリック教会、ユニテリアン主義、ユダヤ教 | ||||||||||||||||||||||||||
首都 | ブダペスト | ||||||||||||||||||||||||||
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通貨 |
先代 | 次代 |
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王領ハンガリー オーストリア帝国 トランシルヴァニア公国 |
ハンガリー人民共和国 スロベニア人・クロアチア人・セルビア人国 チェコスロバキア第一共和国 ポーランド第二共和国 ルーマニア王国 カルナーロ=イタリア執政府 |
- ハンガリーの聖イシュトヴァーンの王冠諸邦
- A Magyar Szent Korona Országai (ハンガリー語)
Zemlje krune svetog Stjepana (スロベニア語)
Земље круне Светог Стефана (セルビア語)
Krajiny Svätoštefanskej koruny (スロバキア語)
Țările Coroanei Sfântului Ștefan (ルーマニア語) -
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←1867年 - 1918年 ↓ (国旗) (国章(1915年 - 1918年)) - 国の標語: Regnum Mariae Patrona Hungariae[1](ラテン語)
マリアの王国、ハンガリーの保護者 - 国歌: Himnusz(ハンガリー語)
賛称
ハンガリー王国とクロアチア=スラヴォニア王国の領土(緑色の部分)
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ハプスブルク帝国の南部と東部を構成しており、ブダペストを首都としていた。ハンガリー王冠領の領域には現在のハンガリー、スロバキア、カルパトウクライナ、バナト、ヴォイヴォディナ(現セルビア領)、ブルゲンラント(現オーストリア領)、トランシルヴァニア(現ルーマニア北西部)、現在のポーランド領のごく一部(英語版)、そして現在のクロアチアの大部分をなす中央クロアチア、スラヴォニアおよびフィウメ(現在のリエカ)が属していた。大まかに言って、ハンガリー王冠領の大部分はハプスブルク家領のうち、1806年まで神聖ローマ帝国に属していた領域外の地域に当たっている。