沼田鈴子
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沼田 鈴子(ぬまた すずこ、1923年〈大正12年〉7月30日[1] - 2011年〈平成23年〉7月12日[2][3])は、日本の平和運動家。広島市原爆被害者の会の元副会長[4]、広島を語る会の元会員[4]。大阪府出身。
概要 ぬまた すずこ 沼田 鈴子, 生誕 ...
ぬまた すずこ 沼田 鈴子 | |
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生誕 |
(1923-07-30) 1923年7月30日 大阪府 |
死没 |
(2011-07-12) 2011年7月12日(87歳没) 広島県広島市 |
死因 | 心不全 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 安田高等女学校 |
職業 |
平和運動家 広島逓信局職員 安田女子高校教員 |
活動期間 | 1981年 - 2011年 |
著名な実績 | 被爆体験の語り部などの平和運動、反核運動、原子力撤廃活動 |
影響を受けたもの | 坂本文子 |
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広島市への原子爆弾投下での被爆者の1人。被爆により左脚を失い絶望に陥ったところを、被爆アオギリを見て生きる希望を取りもどし、切断障害を抱えた身でありながら被爆体験証言活動と平和運動に心血を注いだ。証言活動では被爆アオギリのことを多く語ったことから「アオギリの語り部」として知られる。