結城秀康
安土桃山時代から江戸時代の武将、大名 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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結城 秀康(ゆうき ひでやす)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。越前国北ノ庄藩(福井藩)初代藩主。越前松平家の祖。結城氏第18代当主。
概要 凡例結城 秀康 / 羽柴 秀康 松平 秀康, 時代 ...
松平 秀康 | |
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結城秀康像(舜国洞授賛。原本は松平直之氏所蔵。上図は東京大学史料編纂所の模写) | |
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
生誕 | 天正2年2月8日(1574年3月1日)[注 1] |
死没 | 慶長12年閏4月8日(1607年6月2日) |
改名 | 於義伊/於義丸/義伊丸/義伊松(幼名)、羽柴秀康→秀朝→秀康 |
別名 | 秀朝、豊臣秀康、通称:三河少将[注 2]、結城少将、徳川三河侍従、越前卿、越前黄門、越前宰相 |
戒名 |
孝顕院殿三品黄門吹毛月珊大居士 浄光院殿森岩(巌)道誉運正大居士 |
墓所 |
東京都品川区南品川の海晏寺 福井県福井市田ノ谷町の大安寺 和歌山県伊都郡高野町高野山の高野山奥の院 |
官位 |
従五位下・侍従、三河守、従四位下・左近衛権少将、従三位・権中納言 贈正二位 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 豊臣秀吉、秀頼→徳川家康、秀忠 |
藩 | 下総国結城藩藩主、越前国北ノ庄藩藩主 |
氏族 | 徳川氏→羽柴氏→結城氏→越前松平宗家 |
父母 |
父:徳川家康、母:於古茶(長勝院) 養父:豊臣秀吉→結城晴朝 |
兄弟 |
松平信康、亀姫、督姫、秀康、永見貞愛、徳川秀忠、松平忠吉、正清院、武田信吉、松平忠輝、松平松千代、松平仙千代、徳川義直、 徳川頼宣、徳川頼房、市姫ら |
妻 |
結城晴朝養女鶴子( 江戸鶴子) 岡山、駒、奈和、品量院、月照院 |
子 | 治枝、松姫(早逝)、忠直、忠昌、喜佐姫、直政、本多吉松、直基、直良、呑栄ら |
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徳川家康の次男で、豊臣秀吉の養子となり羽柴 秀康(はしば ひでやす)を名乗ったが、その後、結城晴朝の養子となり、結城の通称で呼ばれるようになった[2]。通説では関ヶ原の戦いの後に越前国を領してから松平姓を名乗ったとされ、松平 秀康(まつだいら ひでやす)と呼ばれるが、一次史料でこの時期に称した名字は明らかとなっていない[3]。