アゲル・ファレルヌスの戦い
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アゲル・ファレルヌスの戦い(アゲル・ファレルヌスのたたかい)は第二次ポエニ戦争中の紀元前217年に発生した共和政ローマとカルタゴとの小規模戦闘である。トラシメヌス湖畔の戦いに勝利したハンニバルは南進してカンパニアに達し、ヴォルトゥムス川(現在のヴォルトゥルノ川)沿いの肥沃な平原(アゲル・ファレルヌス)に入った。アゲル・ファレルヌスの北側は山地であった。トラシメヌス湖での敗北後、ローマはクィントゥス・ファビウス・マクシムスを独裁官(ディクタトル)に任命し、ローマ野戦軍の総指揮をとらせた。ファビウスはハンニバル軍を避けて正面衝突は行わず、有利な状況の場合にのみ戦闘を行う戦略をとった(後にこのような持久戦略をファビアン戦略と呼ぶようになる)。ファビウスはアゲル・ファレルヌスに入る川と道路を占領し、カルタゴ軍をアゲル・ファレルヌス内部に閉じ込めた。この状態で持久戦が続いたが、ハンニバルは火牛の計を用いて峠道を守っていたローマ分遣隊を持ち場から離れさせ、この峠道を通って無傷で脱出した。ファビウス自身とのその本軍もこの峠の近くに野営していたが、夜間の戦闘を恐れてカルタゴ軍に対する攻撃は行わなかった。