イベリア王国
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スペイン・ハプスブルク朝によるイベリア半島の連合王国イベリア連合とは異なります。 |
イベリア王国(イベリアおうこく)は、南コーカサス、現在のジョージア(グルジア)東部に存在した王国である[1]。紀元前4世紀から紀元後6世紀にかけて、大コーカサス山脈の南部、小コーカサス山脈の北部に存在した。イベリア半島と区別するためコーカサス・イベリアとも呼ばれる。
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公用語 | グルジア語 | ||||
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首都 | ムツヘタ (前302年-530年) アルマジ(英語版) (前270年頃-530年) トビリシ (530年-580年) | ||||
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現在 | ジョージア トルコ ロシア アルメニア アゼルバイジャン |
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コルキスとイベリア王国
ここからスペインに移住した民族がバスク人の祖となり、イベリア半島の呼称もそこから来ているという説があるが、互いの類縁関係はいまだ証明されていない。