エバーグレーズの復元
ウィキペディア フリーな encyclopedia
エバーグレーズの復元(エバーグレーズのふくげん、英: Restoration of the Everglades)は、20世紀にアメリカ合衆国フロリダ州南部において破壊された環境を修復しようという、現在も継続中の動きである。費用と範囲の両面において、史上最大級の環境修復の試みとなっている[1][2]。エバーグレーズの「劣化」は、ビッグサイプレス湿地に空港(ジェットポート)を建設しようという提案があった後、1970年代初期に全米的な関心事となった。調査の結果、その空港は南フロリダとエバーグレーズ国立公園の生態系を破壊するだろうということが示された[3]。数十年間にわたる破壊の後、州および連邦政府の機関は、南フロリダの自然環境と、エバーグレーズの地域内および近辺で近年急速に成長して来ていた都市および農業中心地とがそれぞれ必要とするもののバランスを取る方法を模索している。
1947年のハリケーンによる洪水被害を契機として 、エバーグレーズでは、中央・南フロリダ間の治水・排水事業 (Central and Southern Florida Flood Control Project; C&SF) が行われた。南フロリダでは、1950年代から1971年の間に、治水・排水事業 (C&SF)が2300キロ(1400マイル)にわたって進められた。最後の事業は、キスミー川(英語版)を直線水路に改変することであったが、これが原因となり、この地域の水質に悪影響を与え、動物の生息地に壊滅的な被害が生じた。35キロ(22マイル)の運河は埋め戻しすることになり、1980年代における治水・排水事業(C&SF)の最初のプロジェクトとして、運河の復元や資材を掘り出しての再生事業が行われた。
1986年に水路の中で高濃度のリンや水銀が発見され、南フロリダ水管理局による水質管理が重要事項となった。費用的にも時間的も多大な労力を要した法廷闘争が、水質基準の決定権をもつ様々な政府機関と、水質基準を強いられた被害者との間で繰り広げられた。フロリダ州知事のロートン・チルズ(英語版)は、水質汚染除去のリミットを定め、政府機関が責任を負うとする法案を提出した。当初の法案は、汚染物質の基準が厳格ではなかったために、保護団体に批判を浴びたが、1994年にはエバーグレイズ・ フォーエバー法 (Everglades Forever Act) が制定された。 南フロリダ水管理地区 (SFWMD) と陸軍工兵隊(USACE)は、共同事業により、目標を超えるリン除去による水質改善を達成した。
フロリダ州知事のロートン・チルズ(英語版)が任命した委員会は、1995年の報告書で南フロリダ州の成長を維持出来なかったことを公表し、環境の悪化が、南フロリダ州の住民の日常生活に悪影響を与えたとした。現状の傾向を停止させる対応策をとらなければ、環境破壊により、観光産業や商業上の利益を損なうことが予測された。治水・排水事業 (C&SF) の評価に関する8年間にわたる研究結果は、1999年に議会に提出された。この報告書によれば、もしなにも対策しなければ、地域一帯が急速に崩壊していくという警告が発せられていた。2000年には、エバーグレーズの環境復元事業 (Comprehensive Everglades Restoration Plan; CERP) と呼ばれる戦略が、エバーグレーズのオキーチョビー湖、カルーサハチ川(英語版)、フロリダ湾などの地域を、過去50年間の損害から復元するために制定された。今後 30 年かけて、約 7,800 億円(78 億ドル)を投じることが想定されている。エバーグレーズの環境復元事業(CERP) は2000年には法制化されたが、政策や資金調達の問題によって妥協策がとられている。