ジャーマースプ (カワード1世の皇子)
サーサーン朝、カワード1世の皇子 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
ジャーマースプ(Jamasp または Zamasp)は、6世紀のサーサーン朝の皇子であり、サーサーン朝の王であるカワード1世(在位:488年 - 496年、498年/499年 - 531年)の第二子であった。ジャーマースプは戦争における軍事手腕を大いに称賛されていたものの、目を失ったために王位継承の権利を失った[1]。その翌年にジャーマースプの弟のホスロー1世(在位:531年 - 579年)が即位した後、アスパーフバド家(英語版)の貴族であるバウィ(英語版)が、他のペルシア貴族達と共謀してホスロー1世を打倒し、ジャーマースプの息子のカワードを新しい王に擁立しようとする陰謀に巻き込まれた。ジャーマースプは摂政として統治する予定であった[2]。しかし陰謀は露見するところとなり、ジャーマースプは殺害された[3]。