バドル作戦 (第四次中東戦争)
エジプト軍のイスラエルに対する1973年の作戦 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
この項目では、第四次中東戦争におけるエジプト軍の作戦について説明しています。西暦624年の戦いについては「バドルの戦い」を、イラン・イラク戦争におけるイラン軍の作戦については「バドル作戦」をご覧ください。 |
バドル作戦(バドルさくせん、عملية بدر)あるいはバドル計画(バドルけいかく、خطة بدر)は、1973年10月6日にスエズ運河を横断してイスラエル軍の各拠点からなる「バー=レブ線」を制圧した、エジプト軍事作戦の名称である。シリア軍のゴラン高原進攻(ヘブライ語版)と同時に発動されたこの攻撃は、第四次中東戦争(十月戦争、ヨム・キプール戦争)の開始を画するものとなった。
概要 バドル作戦 عملية بدر, 交戦勢力 ...
バドル作戦 عملية بدر | |
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エジプト軍の車両がスエズ運河上の仮設浮橋を渡る。(1973年10月7日) | |
戦争:第四次中東戦争、シナイ半島方面 | |
年月日:1973年10月6日 - 10月8日 | |
場所:エジプト・シナイ半島(作戦当時はイスラエル占領下) | |
結果:エジプト軍がスエズ運河東岸に橋頭堡を構築[1] | |
交戦勢力 | |
イスラエル 南部方面軍 |
エジプト 第2軍(アラビア語版) 第3軍(アラビア語版) |
指導者・指揮官 | |
モーシェ・ダヤン(国防相) ダビッド・エラザール(参謀総長) シュムエル・ゴネン(ヘブライ語版)(南部方面軍司令官) アルバート・マンドラー(ヘブライ語版)(第252師団長) アブラハム・アダン(第162師団長) アリエル・シャロン(第143師団(ヘブライ語版)長) |
アフマド・イスマイル・アリ(アラビア語版)(国防相) サード・エル・シャズリー(アラビア語版)(参謀総長) サード・マムーン(アラビア語版)(第2軍司令官) アブドゥル・ムネイム・ワッセル(アラビア語版)(第3軍司令官) ハッサン・アブ・サーダ(アラビア語版)(第2師団(アラビア語版)長) アフメド・バダウィ(アラビア語版)(第7師団長) アブドゥル・ハフェズ・ラブ・ナビ(アラビア語版)(第16師団長) フアド・アジズ・ガリ(アラビア語版)(第18師団長) ユースフ・アフィフィ(アラビア語版)(第19師団長) |
戦力 | |
10月6日: 1個師団 戦車300 - 360輌・歩兵8,000名(バー=レブ線に460 - 600名)[2][3][4][5] 10月8日: 3個師団 戦車640輌 |
10月6日: 歩兵3万2000名[6] 10月7日(1時): 戦車200輌[7] 10月8日: 5個師団 戦車980輌・歩兵9万名[8] |
損害 | |
戦死者950名 戦傷者2,000名 喪失戦車400輌[9] |
戦死者280名 喪失戦車20輌[9] (10月6日 - 7日) |
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1968年に開始された演習、1971年からの作戦立案、そして欺瞞作戦がバドル作戦に先行した。「渡河」(العبور)とされた攻撃の開始段階では、工兵が運河の東岸に敷設された砂壁の間に無数の通路を迅速に開設するため放水砲を用い、仮設浮橋を運用して機甲戦力を渡河させた。エジプト軍歩兵部隊が「バー=レブ」の各拠点を襲撃し、イスラエル軍は機甲戦力と歩兵部隊で応戦した。
攻撃はイスラエル軍の不意を衝き、10月7日には渡河は完了し、エジプト軍の5個歩兵師団が運河の東岸を占拠していた。歩兵部隊は160キロ(99マイル)長の前線に広がる各橋頭堡に防御陣地を構築した。10月7日の戦闘の小康状態に続いてイスラエル軍の予備機甲戦力が前線に到着し、イスマイリア市に対峙して反撃をしかけた。エジプト軍部隊は対戦車兵器を用いてイスラエル軍機甲戦力の撃退に成功し、再び前進した。10月8日の暮れにはエジプト軍は、運河の東岸全域に沿って縦深およそ15キロ(9.3マイル)の帯状の領域を占拠していた。
運河の横断に加えて、エジプトは紅海と地中海においてイスラエルに対する海上封鎖を成功させた。カイロとダマスカスの専門博物館「10月6日全景(エジプト・アラビア語版)」は1973年の戦争の記念となっている。