バルト連合公国
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バルト連合公国(バルトれんごうこうこく、ドイツ語: Vereinigtes Baltisches Herzogtum[1])は、ロシア革命後に今日のエストニア、ラトビアの地に構想された国家である。リヴォニア大公国としても知られる[2]。
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公用語 | ドイツ語 | ||||||||||
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首都 | リガ | ||||||||||
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通貨 | パピエルマルク |
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- バルト連合公国
- Vereinigtes Baltisches Herzogtum (ドイツ語)
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←1918年 - 1918年 →
→(国旗) (国章) - 国歌: Heil dir im Siegerkranz(ドイツ語)
皇帝陛下万歳
バルト連合公国が国家を創設しようとした地域
ドイツ帝国はロシア革命後、ロシア帝国領のクールラント県(ドイツ語版)、リヴォニア県(ドイツ語版)、エストニア県(ドイツ語版)を占領した。この際にバルト・ドイツ人貴族と亡命ロシア貴族[3]が構想したのがこのバルト連合公国である。
そこではクールラント公国、「エストニアおよびリヴォニア公国」を創設し、これらをプロイセン王[4]の同君連合のもとにおく計画であった。第一次世界大戦の終結前にオーバー・オスト(ドイツ語版)(ドイツ軍東部全軍最高司令官)のもと、ドイツ軍は既にこの中世リヴォニアの地を占領下に収めていた。