ポルタヴァの戦い
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ポルタヴァの戦い(ウクライナ語: Полтавська битва;スウェーデン語: Slaget vid Poltava;ロシア語: Полтавская битва)は、1709年6月27日(新暦7月8日)、東ウクライナのポルタヴァで行われたロシアとスウェーデンの大北方戦争における最大の戦い。カール・グスタフ・レーンスケルド率いるスウェーデン軍と、ピョートル1世率いるロシア軍が交戦し、ロシア軍が勝利した。
概要 ポルタヴァの戦い, 交戦勢力 ...
ポルタヴァの戦い | |
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ポルタヴァの戦い(Denis Martens the Younger) | |
戦争:大北方戦争 | |
年月日:1709年6月27日(新暦7月8日) | |
場所:ポルタヴァ、東ウクライナ | |
結果:ロシアの勝利 | |
交戦勢力 | |
スウェーデン王国 | ロシア・ツァーリ国 |
指導者・指揮官 | |
カール・グスタフ・レーンスケルド カール12世 (直接指揮せず) |
ピョートル1世 |
戦力 | |
攻撃軍17,000 包囲軍8,000 |
兵力42,000 - 45,000 砲72 |
損害 | |
死傷6,900 捕虜2,800 |
死亡1,345 負傷3,200 |
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この戦闘の後、スウェーデンは軍事的優位を喪失した。大戦争の行方を決した会戦といえる。なお、カール12世は負傷のために直接指揮を執っておらず、これが敗因の一つになったとされる。また、スウェーデン軍にはウクライナ・コサックのイヴァン・マゼーパも参加していた。また、後にロシア帝国陸軍における傑出した指揮官の1人となるピーター・レイシ(ピョートル・ペトロヴィチ・ラッシ)もロシア軍右翼で1個旅団を率いた[1]。