ローラ・ニーロ
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ローラ・ニーロ(Laura Nyro、出生名:Laura Nigro、死亡時の正式名:Laura Bianchini、1947年10月18日 - 1997年4月8日)は、アメリカのソングライター、歌手およびピアニスト。
ローラ・ニーロ | |
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1968年の画像 | |
基本情報 | |
出生名 | Laura Nigro |
生誕 | 1947年10月18日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ニューヨーク・ブロンクス |
死没 |
(1997-04-08) 1997年4月8日(49歳没) アメリカ合衆国 コネチカット州ダンベリー |
ジャンル |
ブルー・アイド・ソウル ポップ・ミュージック |
職業 | 歌手・シンガーソングライター |
担当楽器 | ピアノ・キーボード |
活動期間 |
1966年 - 1993年 (レコード・リリース) |
公式サイト |
Laura Nyro Official Home Page |
ニーロは自身のレコーディング、特にアルバム『イーライと13番目の懺悔』(1968年)および『ニューヨーク・テンダベリー』(1969年)で評論家の称賛を浴びるとともに、バーブラ・ストライサンドやフィフス・ディメンションなどのアーティストが彼女の曲をレコーディングして商業的に成功を収めた。ニーロのスタイルはブリル・ビルディング・サウンドのニューヨーク・ポップとジャズ、リズム・アンド・ブルース、ショー・チューン、ロックおよびソウルの混合である[1]。ニーロは力強く情感的なボーカルスタイルと3オクターブのメゾソプラノの音域でも称賛されている[2]。
1968年から70年にかけて、数多くのアーティストがニーロの曲でヒットを生み出した:フィフス・ディメンションが「ブローイング・アウェイ」、「ウェディング・ベル・ブルース」、「ストーンド・ソウル・ピクニック」、「スウィート・ブラインドネス」、「セイヴ・ザ・カントリー」を、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズおよびピーター・ポール&マリーが「アンド・ホエン・アイ・ダイ」を、スリー・ドッグ・ナイトおよびメイナード・ファーガソンが「イーライがやって来る」を、バーブラ・ストライサンドが「ストーニー・エンド」、「タイム・アンド・ラヴ」、「ハンズ・オフ・ザ・マン(フリム・フラム・マン)」をカバーした。ニーロ自身の最も売れたシングルはキャロル・キングとジェリー・ゴフィンの「アップ・オン・ザ・ルーフ」のカバーだった[1]。
2010年、ソングライターの殿堂(英語版)に死後の殿堂入りをはたした。2012年、ロックの殿堂に死後の殿堂入りをはたした。[3][4]。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において94位にランクインした[5]。
1972年と1994年に来日公演を行っている。