九条兼実
平安時代末期から鎌倉時代初期の公卿 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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九条 兼実(くじょう かねざね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。藤原北家、関白・藤原忠通の六男。官位は従一位・摂政・関白・太政大臣。月輪殿、後法性寺殿とも呼ばれる。通称は後法性寺関白(ごほっしょうじ かんぱく)。五摂家の一つ、九条家の祖であり、かつその九条家から枝分かれした一条家と二条家の祖でもある。五摂家のうちこの3家を九条流という。
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概要 凡例九条 兼実, 時代 ...
九条兼実像『天子摂関御影』より | |
時代 | 平安時代末期 - 鎌倉時代初期 |
生誕 | 久安5年(1149年) |
死没 | 建永2年4月5日(1207年5月3日) |
改名 | 兼実→円証(法名) |
別名 | 月輪殿、後法性寺殿 |
墓所 | 京都市東福寺 |
官位 | 従一位、摂政、関白、太政大臣 |
主君 | 後白河天皇→二条天皇→六条天皇→高倉天皇→安徳天皇→後鳥羽天皇→土御門天皇 |
氏族 | 藤原北家御堂流九条家 |
父母 | 父:藤原忠通、母:加賀局(藤原仲光の娘) |
兄弟 |
恵信、覚忠、聖子、近衛基実、 松殿基房、育子、兼実、尊忠、道円、信円、兼房、慈円、最忠など 養兄弟:呈子 |
妻 |
藤原兼子(藤原季行の娘) 藤原顕輔または藤原頼輔の娘、 八条院三位局(高階盛章の娘) |
子 | 良通、良経、任子、良円、良平、良快、良輔、良尋、良海、良恵、玉日 |
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摂政・関白藤原忠通の六男。母は、家女房で太皇太后宮大進・藤原仲光の娘・加賀。同母兄弟4人の中の長子である。同母弟には、太政大臣となった兼房・天台座主となった慈円などが、また異母兄には近衛基実、松殿基房が、異母弟には興福寺別当となった信円らがいる。
兼実が40年間書き綴った日記『玉葉』は、当時の状況を知る上での一級史料となっている。