後白河天皇
日本の第77代天皇 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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後白河天皇(ごしらかわてんのう、1127年10月18日〈大治2年9月11日〉[1] - 1192年4月26日〈建久3年3月13日〉[2])は、日本の第77代天皇(在位: 1155年8月23日〈久寿2年7月24日〉- 1158年9月5日〈保元3年8月11日〉)。諱は雅仁(まさひと)。
概要 後白河天皇, 第77代天皇 ...
後白河天皇 | |
---|---|
即位礼 | 1155年11月22日(久寿2年10月26日) |
大嘗祭 | 1155年12月19日(久寿2年11月23日) |
元号 |
久寿 保元 |
時代 | 平安時代 |
先代 | 近衛天皇 |
次代 | 二条天皇 |
誕生 | 1127年10月18日(大治2年9月11日) |
崩御 |
1192年4月26日(建久3年3月13日) 六条殿 |
大喪儀 | 1192年5月2日(建久3年3月19日) |
陵所 | 法住寺陵 |
追号 |
後白河院 (後白河天皇) |
諱 | 雅仁 |
別称 | 行真法皇 |
元服 | 1140年1月18日(保延5年12月27日) |
父親 | 鳥羽天皇 |
母親 | 藤原璋子 |
中宮 | 藤原忻子 |
女御 |
藤原琮子 平滋子 |
子女 |
二条天皇 亮子内親王 好子内親王 式子内親王 守覚法親王 以仁王 円恵法親王 定恵法親王 休子内親王 惇子内親王 恒恵 高倉天皇 静恵法親王 道法法親王 承仁法親王 真禎 覲子内親王 |
皇居 | 平安宮 |
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鳥羽天皇の第四皇子として生まれ、異母弟の近衛天皇の急死により皇位を継ぎ、譲位後は34年にわたり院政を行った。その治世は保元の乱、平治の乱、治承・寿永の乱と戦乱が相次ぎ、二条天皇・平清盛・木曾義仲との対立により、幾度となく幽閉・院政停止に追い込まれるがそのたびに復権を果たした。政治的には定見がなくその時々の情勢に翻弄された印象が強いが、新興の鎌倉幕府とは多くの軋轢を抱えながらも協調して、その後の公武関係の枠組みを構築した。南都北嶺といった寺社勢力には厳しい態度で臨む反面、仏教を厚く信奉して晩年は東大寺の大仏再建に積極的に取り組んだ。和歌は不得手だったが、今様を愛好して『梁塵秘抄』を撰するなど文化面にも大きな足跡を残した。