二条城
日本の京都府京都市にある城郭及び元皇室関連施設 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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二条城(にじょうじょう)は、京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある日本の城。江戸時代の徳川将軍家の平城であり近代においては皇室の離宮の役割を担った。正式名称は元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)である[1]。
(京都府) | |
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別名 |
旧二条離宮(二条城) 恩賜元離宮二条城 |
城郭構造 | 輪郭式平城 |
天守構造 |
※共に焼失し非現存※ 複合式望楼型5重5階(1603年移築) 複合式層塔型5重5階(1628年移築) |
築城主 | 徳川家康 |
築城年 | 1601年 (慶長 6年) |
主な城主 |
徳川将軍家(江戸期) 皇室(明治17年ー昭和14年) |
廃城年 |
1873年(明治6年) 廃城令により存城処分を受ける。 |
遺構 |
二の丸御殿 (国宝・重文) 二の丸御殿障壁画(重文) 二の丸庭園(特別名勝) 本丸御殿群(旧桂宮邸) 本丸御殿障壁画(重文)・本丸庭園 唐門・筋塀(築地塀) 番所 ・櫓門・土蔵 櫓・門・塀・天守台 石垣・堀・井戸等 外堀護岸等 |
指定文化財 |
国宝(二の丸御殿6棟) 国の重要文化財(建造物18棟、二の丸御殿障壁画1016面) 特別名勝(二の丸庭園) 本丸御殿(重要文化財) 世界文化遺産(古都京都の文化財) 国史跡・旧二条離宮(二条城) (城内敷地全体) 国史跡・二条城外堀護岸 (単独の国史跡) |
位置 | 北緯35度0分50.96秒 東経135度44分51.0秒 |
地図 | |
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京都市街の中にある平城で、足利氏・織田氏・豊臣氏による二条城もあったが(旧二条城跡について)、現存するものは徳川宗家の城のみである。当城は京都御所の裏鬼門に位置する[2]。築城理由には都および朝廷のある京都に江戸城の分身の役割として徳川家康は京都御所・公家町(現:京都御苑および冷泉家一帯)および洛中の守護並び上洛時の居城として造営した城である[3]。
二条城では徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀、江戸幕府による禁中並公家諸法度の公布、後水尾天皇の行幸、幕末期は徳川慶喜の居城となり大政奉還の上奏、離宮時代には大正天皇の行啓や饗宴の儀など徳川幕府の始まりと終わりをはじめ日本の歴史を見届けてきた[4][5]歴史的に重要な場所である[6]。
明治維新により徳川将軍家から接収された二条城は、1884年に皇室の「二条離宮」へ変遷した[7]。その後、1939年(昭和14年)二条離宮は京都市に恩賜され、元離宮二条城[8]と改称、そして現在に至る。
城内全体が国の史跡に指定されている他、狩野探幽をはじめとする狩野派一門など各名工らが荘厳華麗な金碧画から可憐な花鳥画までの障壁画と多彩な透彫欄間や飾金具ともに日本唯一本来の徳川将軍家城郭御殿完全遺構である二の丸御殿(6棟)が国宝[9]に、旧桂宮邸である本丸御殿をはじめ22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、小堀遠州の代表作と知られる二の丸庭園が特別名勝に指定されている。
城外史跡には、築城時代からの史跡二条城外堀護岸が存在する。
現代史では1994年(平成6年)にユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に歴史的および文化的価値の高さから洛中唯一の城郭建築として「古都京都の文化財」として登録された。