北属期
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北属期(ほくぞくき、ベトナム語:Bắc thuộc / 北屬)とは、北ベトナム最初の統一王朝である呉朝が建国されるまでの間、ベトナムが中国の諸王朝に服属していた時期である。
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一般的に、前漢の武帝が交阯郡・九真郡(タインホア)・日南郡の三郡を交州に設置した紀元前111年から、呉権(ゴ・クエン)が呉朝を建国した939年までの時期を指すが、秦の将軍だった趙佗が建国した南越が北ベトナムを支配した紀元前2世紀を始まりとする場合もある[1]。北属期は第一次(紀元前111年 - 紀元39年)、第二次(44年 - 544年)、第三次(548年 - 939年)の3つの時期に分けられる[2]。ベトナム人にとっては屈辱的な時代と捉えられており[1][3]、後黎朝期に編纂された史書『大越史記全書』においては「外記」「前編」といった、真正の国史が始まる前の前段階として扱われている[3]。従前は、ベトナムは中華王朝の支配下で多くの文物を吸収し、漢化が進行する中で独立を達成した時代と考えられていた[4]。これに対して、独立の初期までは他の東南アジア地域と同じようにベトナムにも独自の社会が存在していたとする意見も出されている[4]。
中華王朝の支配領域は平野部に限定され、山岳地帯にはムオン族、タイ族などの漢化が及んでいない民族が居住していたと考えられている[1]。
文献史料が乏しく、考古学的資料の発見による解明が待たれている時代である[3]。文献史料としては、大越で編纂された史書のほかに中国の諸王朝で編纂された正史に収録されている士燮(シー・ニエップ)ら交州の統治者の列伝、『水経注』などの地理書[5]が挙げられる。
発掘調査によって、北属期前の南越の支配制度が及んでいた範囲、龍編(ロンビエン)などの後漢以降の行政の拠点と比定される遺構、ハノイの安南都護府時代の遺跡などが確認されている[1]。