大学予科
大学令(1918年公布、1919年4月1日施行)または各帝国大学官制に基づいて設置され、1955年まで存在した高等教育機関 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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この項目では、主として日本の旧制大学に附属する大学予科について説明しています。総論については「予科」をご覧ください。 |
「別科」とは異なります。 |
大学予科(だいがくよか)は、戦前の日本(大日本帝国)において、旧制大学の本科(学部)に進学する前段階の予備教育を行っていた高等教育機関。以下の2種類が存在する。
- 明治時代後期から大正時代前期にかけての旧制高等学校に設置されていた、帝国大学進学のための予備教育を施していた3年制の課程。中学校令(1886年)に基づく官立高等中学校の本科が第一次高等学校令(1894年)により改組されたもので、第二次高等学校令(1918年)により高等科に改められた。高等中学校や旧制高等学校および本記事の該当項を参照のこと。
- 大学令(1918年)または各帝国大学官制に基づいて設置された高等教育機関。学制改革による旧制大学から新制大学への転換に伴い、順次廃止された。本記事にて解説する。
大学予科(だいがくよか)とは、大学令(1918年公布、1919年4月1日施行)または各帝国大学官制に基づいて設置され、1955年(昭和30年)まで存在した高等教育機関。
教育内容は現在の大学教養課程に相当する。特定の旧制大学に附属し、専門教育を行う大学本科、すなわち学部に進学する前段階としての予備教育を行う機関であった。基本的に旧制高等学校と同じ教育が行われたが、学部の設置状況に合わせて、文科・理科のどちらかのみを置くことも可能だった。官立大学と公立大学の予科は3年制であったが、私立大学予科は、政府の認可基準の問題などから2年制を採る場合もあり、後期になって3年制と2年制の2部を併置する予科も多く登場した。
しかし、第二次世界大戦の激化に伴う繰上げ卒業と学徒出陣に沿って行われた修業年限の短縮と、終戦後の修業年限の復旧を経て、戦前より2年制だった予科も1年延長され、最終的に全ての大学予科は3年制に統一された。大学予科は学制改革によって、新制大学の教養部や学部、あるいは附属の新制高等学校に改組されて廃止された。3年制大学予科の入学資格は旧制高等学校(3年制)と同じく旧制中学校4年修了程度であるのに対し、2年制大学予科は旧制中学校卒業程度であった(中学卒業後、第2学年に編入可能な3年制予科もあった)。