教皇パウルス3世とその孫たち
ティツィアーノ・ヴェチェッリオによる絵画 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
『教皇パウルス3世とその孫たち』 (きょうこうパウルスさんせいとそのまごたち、伊: Ritratto di Paolo III con i nipoti Alessandro e Ottavio Farnese[1]、英: Pope Paul III and His Grandsons)は、イタリア盛期ルネサンスのヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオがキャンバス上に油彩で描いた絵画である。ティツィアーノがローマを訪問していた1545年秋から1546年6月の間にファルネーゼ家によって委嘱された[2][3][4]。現在、ナポリのカポディモンテ美術館に所蔵されている[3][4]。
イタリア語: Ritratto di Paolo III con i nipoti Alessandro e Ottavio Farnese 英語: Pope Paul III and His Grandsons | |
作者 | ティツィアーノ・ヴェチェッリオ |
---|---|
製作年 | 1545-1546年 |
種類 | キャンバス上に油彩 |
寸法 | 210 cm × 176 cm (83 in × 69 in) |
所蔵 | カポディモンテ美術館、ナポリ |
作品は、パウルス3世 (ローマ教皇) と孫たちのオッターヴィオ、アレッサンドロ・ファルネーゼの間のきわどい関係を描いている[3][4]。オッターヴィオは教皇の左側で跪いている姿で表されている[3]。アレッサンドロは枢機卿の服を身に着けて、教皇の右側の背後に立っている[3]。 絵画は、老いの影響と継承の背後にある策略を描くことを探求している。パウルスは当時70代後半で、カール5世 (神聖ローマ皇帝) が即位した不安定な政治的状況で権勢を握っていた。
パウルスは信心深い人物ではなかった。彼は教皇の地位というものを家族の立場を強化するための手段だとみなしていた。彼は縁故主義の批判にもかかわらず、アレッサンドロを枢機卿に任命し、多数の私生児の父親となり、美術品と骨董品を購入するために多額の教会財産を費やした。1545年ごろ、カール5世が政治的軍事的優位に立ち、パウルスの教皇としての立場を弱体化させた。ティツィアーノは、変化する状況に気づき、絵画を完成させる前に放棄し[5]、以後100年間、絵画はファルネーゼ家の地下室で額縁にも入れられずに放置された。
『教皇パウルス3世とその孫たち』はティツィアーノの最高傑作の1つであり、最も印象的な作品の1つである。未完成で[3]、『教皇パウルス3世の肖像』 (カポディモンテ美術館) ほど技術的に完成されたものではないが、テーブルクロスの深い赤色、パウルスのほとんど透明なガウンの白色に見られる豊かな色彩により名高い[3][4]。作品は教皇の性格に見られる矛盾を微妙に示唆し、3人の間の複雑な心理的力学を含んでいる[3][6]。