袁崇煥
ウィキペディア フリーな encyclopedia
この項目では、袁崇煥について説明しています。この人物を描いたテレビドラマについては「袁崇煥 (中華人民共和国のテレビドラマ)」をご覧ください。 |
袁 崇煥(えん すうかん、万暦12年4月28日(1584年6月6日)- 崇禎3年8月16日(1630年9月22日))は、明末の武将。字は元素。広州府東莞県石碣(現在の広東省東莞市石碣鎮水南村)の出身[1]。
その優れた軍略で遼東・遼西(現在の遼寧省南部)で後金の軍隊にたびたび勝利し、三国時代の名軍師諸葛孔明になぞらえてたたえられた。兵に対しても思いやり深い人物だったという。しかし、身内の明王朝内部に疑われて処刑された。