アポロ17号
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アポロ17号は、アメリカ合衆国のアポロ計画における最後の飛行である。現在、史上6度目にして最後の有人月面着陸を行い、また地球周回低軌道を越えて人類が宇宙を飛行した最後の例となっている[2][3]。また、アポロ宇宙船を月面着陸という本来の目的で使用する最後の飛行ともなった。同宇宙船がこの後に使われたのは、スカイラブ計画とアポロ・ソユーズテスト計画のみであった。船長ユージン・サーナン (Eugene Cernan)、司令船操縦士ロナルド・エヴァンス (Ronald Evans)、月着陸船操縦士ハリソン・シュミット (Harrison Schmitt) の3名を乗せて1972年12月7日にフロリダ州ケープ・カナベラルのケネディ宇宙センターから打ち上げられた。
最初の船外活動で月面車を運転するユージン・サーナン | |
任務種別 | 有人月面着陸 |
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運用者 | NASA[1] |
COSPAR ID | 司令・機械船:1972-096A 着陸船:1972-096C |
SATCAT № | 司令・機械船:6300 着陸船:6307 |
任務期間 | 12日13時間51分59秒 |
特性 | |
宇宙機 | アポロ司令・機械船 CSM-114 アポロ月着陸船 LM-12 |
製造者 | 司令・機械船:ロックウェル・インターナショナル 着陸船:グラマン |
打ち上げ時重量 | 46,980 キログラム 司令船:5,840 キログラム 機械船:24,514 キログラム 着陸船:16,658 キログラム |
乗員 | |
乗員数 | 3 |
乗員 | ユージン・サーナン ロナルド・エヴァンス ハリソン・シュミット |
コールサイン | 司令・機械船:アメリカ 着陸船:チャレンジャー |
EVA | 遷移軌道上で1回 月面で3回 |
EVA期間 | 1時間5分44秒 フィルムのカセット回収のための船外活動 |
任務開始 | |
打ち上げ日 | 1972年12月7日 05:33:00 (UTC) |
ロケット | サターン5型ロケット SA-512 |
打上げ場所 | ケネディ宇宙センター 39A発射台 |
任務終了 | |
着陸日 | 1972年12月19日 19:24:59 (UTC) |
着陸地点 | 南太平洋 南緯17.88度 西経166.11度 / -17.88; -166.11 (Apollo 17 splashdown) |
軌道特性 | |
参照座標 | 月周回軌道 |
近点高度 | 26.9 キロメートル |
遠点高度 | 109.3 キロメートル |
元期 | 12月11日 4:04 (UTC) |
Lunarオービター | |
宇宙船搭載構成物 | 司令・機械船 |
軌道挿入 | 1972年12月10日 19:47:22 (UTC) |
軌道脱出 | 1972年12月16日 23:35:09 (UTC) |
軌道周回数 | 75 |
Lunar着陸船 | |
宇宙船搭載構成物 | 着陸船 |
着陸 | 1972年12月11日 19:54:57 (UTC) |
帰還 | 1972年12月14日 22:54:37 (UTC) |
着陸地点 |
タウルス・リットロウ(Taurus Littrow) 北緯20.19080度 東経30.77168度 / 20.19080; 30.77168 (Apollo 17 landing) |
標本採集量 | 110.52 キログラム |
船外活動回数 | 3 |
船外活動時間 |
22時間3分57秒 第1回:7時間11分53秒第2回:7時間36分56秒 第3回:7時間15分8秒 |
Lunarローバー | |
走行距離 | 35.74 キロメートル |
着陸船のドッキング(捕捉) | |
ドッキング(捕捉)日 | 1972年12月7日 09:30:10 (UTC) |
分離日 | 1972年12月11日 17:20:56 (UTC) |
着陸船上昇段のドッキング(捕捉) | |
ドッキング(捕捉)日 | 1972年12月15日 01:10:15 (UTC) |
分離日 | 1972年12月15日 04:51:31 (UTC) |
ペイロード | |
科学機器搭載区画 (SIM) 月面車 | |
重量 | SIM: LRV: 210キログラム |
(左から)シュミット、サーナン(着座)、エヴァンス アポロ計画 有人宇宙飛行 |
17号は、アメリカの有人宇宙船としては初めて夜間に発射された。またサターン5型ロケットを有人飛行に使用するのは、これが最後のこととなった。この飛行はアポロ計画の中ではJ計画に分類されるものであり、3日間の月面滞在の間に月面車を使用して広範な科学的探査を行った。サーナンとシュミットはタウルス・リットロウ (Taurus–Littrow) 渓谷で3度の船外活動を行い、サンプルを採集してアポロ月面実験装置群 (Apollo Lunar Surface Experiments Package, ALSEP) を設置した。一方この間エヴァンスは司令・機械船に乗り、月周回軌道にとどまった。3人の飛行士は12月19日、約12日間の飛行を終えて地球に帰還した[2]。
タウルス・リットロウ渓谷への着陸は、17号の本来の目的を念頭に置いて決定された。その目的とは即ち、(1) 雨の海を形成した巨大隕石の衝突よりも古い月の高地の資料を採集すること。(2) 比較的新しい火山活動が周辺であった可能性について調査すること、であった。谷の北部と南部にある岸壁では高地のサンプルを採集できることが期待され、また谷の周辺にある暗い物質に囲まれたいくつかのクレーターでは火山活動の痕跡を発見できる可能性があったため、この地が着陸地点に選ばれた[4]。
17号はまた、(1) 最も長く宇宙に滞在し (当時)、(2) 最も長く月面活動を行い、(3) 最も大量に月面からサンプルを持ち帰り、(4) 最も長く月周回軌道に滞在した、などのいくつかの記録を打ち立てた[5][6]。