中世美術
ウィキペディア フリーな encyclopedia
西洋の中世美術(ちゅうせいびじゅつ、medieval art )は、ヨーロッパ美術では1000年以上、西アジアや北アフリカではある美術時代と、非常に広範な時と場所に及んでいる。そして多くの美術運動や時代区分、その国や地域の美術品・ジャンル・様式の復興・工芸品・美術家自身が、包含されている。
美術史家は中世美術を主たる時代と様式に分類しようとするが、困難を伴うことがある。概して受け入れられている様式は順に、初期キリスト教美術の末期、民族移動期の美術、ビザンティン美術、インスラー美術、プレ・ロマネスク、ロマネスク美術、ゴシック美術となり、これらの中心的様式の内にある他の多くの区分も含まれる。加えて各地域には、大抵はその民族や文化が成立する過程において、アングロ・サクソン美術やヴァイキング美術など、独自の美術様式があった。
中世美術は多くの媒材で制作されていて、多数の彫刻品・彩飾写本・ステンドグラス・金工品・モザイクが残っており、これらは全て、フレスコ画や貴金属細工・タペストリーなどの織物といった他の媒材よりも、残る率が高いものである。特にその初期においては、金工・象牙彫刻・琺瑯・金刺繍のような、いわゆる「小芸術(minor arts )品」や装飾工芸品の方が、絵画やモニュメント彫刻よりも高く評価されたと考えられている[1]。
ヨーロッパの中世美術は、ローマ帝国の美術の伝統と初期キリスト教会の図像様式から生まれた。この源が北ヨーロッパの力強く「蛮族的な」美術文化と混ざって、注目すべき美術遺産を作り出した。中世美術史は、古典美術・初期キリスト教美術・「蛮族」美術の要素が相互作用した歴史として見なされるのである[2]。古典主義の形式的側面とは離れた、物を写実的に描写する伝統がこの時代を通じて続き、ビザンティン美術に残っているが、これは西洋では時折り現れており、西ヨーロッパで新しく発展した表現主義の萌芽や、北ヨーロッパの活気ある装飾的な要素と組み合わさり、競い合うこともあった。 その時代区分は、古典美術の技法や価値の復興という、ルネサンスの自覚で以って終わり、中世の美術遺産は後の数世紀間、低く評価されていた。19世紀に入りその関心と理解が復活すると、後の西洋美術の発展の基になる、非常に成果の大きな時代であると認められるようになった。